赤い車の中の死体

十二月二十五日 午前八時二十三分

市の中心部から、南西に広がる山の中を車で走ることおよそ一時間。雪深い丘の上に積み木細工のような三角屋根と窓を備えた四角い建物が見えてくる。
中澤峠《なかざわとうげ》の道の駅は標高八三五メートルに位置して、晴れた日には西に羊ヶ岳を望み、周囲にある三つの国立公園のちょうど中間地点にあることから毎年百万人近い人が訪れている。
もっともそれは雪が無い間の話で、十二月も半ばを過ぎると雪と氷に閉ざされた険しい峠道をわざわざ登ってくる観光客は少ない。
今朝方も雪が降ったらしく、柊木花咲里《ひいらぎかざり》はスバルの軽自動車に履かせたチェーンを鈴のように響かせながら駐車場に乗り上げた。
だだっ広い駐車場には休憩中の長距離トラックや高速バスが停まっているだけで、一面の銀世界が朝日を受けて輝いていた。おあつらえ向きにカーラジオから流れ出したクリスマスソングに調子の外れた鼻歌を合わせながら柊木は新雪をかき分けて進む。
つい二週間ほど前に隣のスキー場が年内の営業を終了してしまったため、この時期に駐車場が埋まることは無い。にもかかわらず、『従業員は裏手に停めなくてはいけない』という理不尽かつ暗黙のルールのせいで柊木はレストハウスの前を通り過ぎ、建物を大きく迂回しなければならなかった。

「あれ? 誰の車だろう?」

レストハウスの裏手に回ると既に一台の車が停まっている。
今日の鍵当番は自分で、暖房も効いていない時間から他の従業員が来るとも思えない。
何より、その車は時給八八〇円のパートタイマーが乗り回すにしてはいささか不釣り合いなものだった。

――真紅のド派手なスポーツカー。

一面白い世界にあって、ソレはまるで血痕のように異彩を放っていた。
低く平べったい車高に反して、フロントグリルとタイヤはやたら大きくて太い。まるでしかめっ面でもしているように見えるリアパネルの下部からは極太のマフラーが四本飛び出している。
柊木はあまり車に詳しい方ではなかったが、それでも一千万は下らないだろうと見積もった。

〈あんな車でこの雪道を登ってくるなんて、信じらんない。どこのバカよ?〉

昨今、中国企業を筆頭に海外資本が周辺の土地を買い占め、外国人富裕層向けのリゾート開発を行っているという。中澤峠でも高級車を乗り回す外国人観光客を随分見かけるようになったが、これほど派手な車をリアルで見たのは初めてだった。
好奇心に駆られた柊木はバックで駐車するフリをしながらスポーツカーの前に車を着けると、こっそり中を覗き込んだ。

「――え!?」

驚きのあまりハンドルを切るのが遅れ、スバルのリアバンパーが照明のポールを擦って耳障りな悲鳴を上げる。しかし柊木の頭は今、自分が目にしたモノでいっぱいだった。

〈うそ、ウソ、嘘っ! 何かの見間違い!?〉

半ばパニックに陥りながら柊木はもう一度窓越しに覗き込んだ。
真っ赤なスポーツカーには確かに男が一人乗っていた。
長身で、剃り込みの入った短髪をブロンドに染めているが、顔つきは日本人だ。ハンドルに左手を添えたまま、サインドウィンドウに頭を預けている。一見、慣れない雪山の運転に疲れて居眠りをしているようにも見えるが、違った。

〈――嘘っ!? し、死んでるっ?〉

血の気の引いた顔は雪よりも青白く、唇だけが不気味な紫色に変色しており、焦点の合っていない瞳はまばたき一つせず、別々の景色を映していた。なにより、赤黒く染まったヘッドレストが運転手の身に起きた惨状を雄弁に物語っている。

「そ、そうだ、一一九番! そ、そそ、それから店長と……け、警察に!」

ヒーターは充分に効いているハズなのに歯の根が合わない。
柊木は浅い呼吸を何度も繰り返しながら、ダウンジャケットのポケットからアイフォンを取り出した。

「はぁ…………はぁ、はっ……神様、お願い、お願い、お願い……! 早く出て!」

耳鳴りとコール音が木霊する中、極力窓の外を見ないようにしていても、男の冷たい視線が何度もちらつく。
暗緑色に濁った瞳は何も映していないはずなのに、全身の肌という肌にじっとりと粘つくような視線を感じる。それはまるで、死の淵に沈んだばかりの男が水底から助けを求めて此方を見ているかのようだ。
そんな恐ろしい想像とは裏腹にカーラジオからは相変わらず『赤鼻のトナカイ』が流れていた。

〈今日は人生で最悪のクリスマスだ……〉

場違いなほど軽快なリズムと歌詞の符合に柊木は薄ら寒いものを覚えたのだった。

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