プロローグ

西暦 2044年 7月

 頭上を星が流れていく。

 夜半過ぎに南天より零れ落ちた流星群は今や夜空を流れる黄金の大河のようだ。道の両側に生えるスダジイやアカガシ、ヤブツバキからなる雑木林のシルエットが夜空を細長く切り取り、その印象をより一層強めていた。

 鬱蒼とした林の中からは虫たちの合唱が途切れることなく聞こえ、世紀の天体ショーに静かな音楽を添えている。

「東京じゃ、こんなに星なんて見えなかったな」

 本間遥斗ほんまはるとは頭上を見上げながらおもわずため息をついた。

 デネブ、ベガ、ポラリス、アルタイル、シリウス――。

 宝石をふんだんに散りばめた天鵞絨びろうどのドレスの如く、色とりどりの星々が夜空にまたたいている。

 大学進学を期に上京し、久しぶりに帰ってきて見上げた夜空はとても同じ惑星のものとは思えない。目は無意識に星々の間に線を描き足し、三角や十字といったアステリズムや遠い神話の時代の英雄や怪物を形作っていた。

 と、不意に視界がぐらりと揺らいだ。上ばかりを見ていたせいで地面から突き出た根っこに気付くのが遅れてしまった。

「――おっと!」

 右に左によろめきながら、なんとか両足を踏ん張り、寸前のところで転倒を免れた。

 ホッと胸を撫で下ろしながら足元に視線を向ける。

 星明かりのおかげで懐中電灯は持たなくていいものの、ちゃんと整備されているわけではない山道には木の根以外にも、小石やクズモチのツルなんかが地面を這っていてよそ見していると危ない。おまけにかなり傾斜のキツい坂道になっているので一度転んだら、また最初から登らなくてはいけなかった。

「ガキの頃は誰が一番早く頂上に着くかよく競争したよなぁ……」

 キラキラと輝くラムネ瓶――。

 夕暮れの田舎道に伸びる向日葵ひまわり――。

 星屑ほしくずのように静かに弾ける線香花火――。

 一歩踏みしめるごとに、潮風に乗って子供時代の記憶が蘇ってくる。

 港町をぐるりと回り込むようにそびえるこの岬は島の子供たちにとって格好の遊び場だった。遥斗もその例に漏れず、この先にある〝秘密基地〟でよく近所の子たちと遊んでいた。〝秘密基地〟と言っても、マーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』に出てくるような木の上に小屋があるわけでも、空き地に土管が三つ重ねて置いてあるわけでもない。ただ森の中にぽっかりと円形に拓けた広い草原があるだけだ。

 しかし子供の頃はそれがUFOが着陸したミステリー・サークルなんじゃないかと言って、仲間たちとともにUFOを探したり、地球を侵略する悪いエイリアンとの決戦に備えて武器を持ち寄ったり、訓練と称して坂や海で競争して遊んでいた。

 今思えば、単に火山性の岩が地表に露出していて、木の根が張らない場所にニシノハマカンゾウなどの繁殖力の強い多年草が群生しているだけだったのだが、あの頃はみんな純粋で未知との遭遇や冒険に憧れていたのだ。

――今はどうだろう?

 何の迷いもなく自分は『うちゅうひこうし』になると信じていた遥斗は、今、故郷の島を離れ、宇宙とは全く関係ない東京の大学に通っている。

 だけど、その選択は本当に正しかったのだろうか?

 故郷の島を出て、高校まで打ち込んでいた剣道も止め、あれほど好きだった海も今はダイビングのインストラクターのバイトで潜るくらいで、ひどく現実的な理由だ。

 子供時代の夢なんてそんなものと、斜に構える自分が居る一方、まるで夏休みが終わってしまう時の、何かをやり残しているような後悔と一抹の寂しさを感じながら最後の数メートルを登りきった。

  *  *  *

 遥斗はアリエナイ光景を目にしていた。

 〝秘密基地〟の草原を埋め尽くす大輪の花――。

 本来、昼間にしか咲かないはずのニシノハマカンゾウが一斉に花開き、濃紺の空に向かって黄色い漏斗状の花弁を広げている。その様は、さながら地上に現れた星のようだ。

 海から吹きつける風が黄色い花を揺らし、鬱蒼と生える草を鳴らし、むき出しの顔や腕に叩きつけられる。つい先ほどまでこの草原に横たわり、星空を見上げていたのが嘘のように〝秘密基地〟の情景は一変していた。

 遥斗は夜露に湿った草を膝の下に感じながら頭上を見た。今や夜空は真昼のように輝き、目をつぶっていても白銀の光が瞼まぶたを通して視界を白く染めあげる。LEDのヘッドライトのように温もりを感じさせない、ただ冷たく眩しいだけの光は弱くなったり、強くなったり、周期的に変化していた。

 まるで巨大な生き物の腹の中に居るような錯覚を覚え、遥斗の背中を冷たいものが流れる。

〈こんなのはアリエナイ……!〉

 もはやそこにあるのは満天の星空ではなかった。

 いつの間に現れたのか、草原と夜空の間に巨大な何かが音もなく浮かんでいて、ゆっくりと回転していた。プロペラや翼、噴射口のような物はどこにも見当たらない。そもそも遥斗にはソレが人工物なのか自然物なのか、あるいは生物なのかも判別しようがなかった。

 ソレの表面は磨かれた鏡のように周囲の風景を映しており、輪郭は周囲の林冠に溶け込んでいて判然としない。だが、その冗談のようなスケールの大きさと不自然極まりない存在感はいやがうえにもある言葉を想起させる。

〈空飛ぶ円盤……!?〉

 

 子供の頃に雑誌やテレビで見た物とはだいぶ形が違うものの、丸く拓けた草原に蓋をするように空中に静止する飛行物体を他に言い表す言葉が見つからない。白銀の光はそのUFOから無数の帯状に放たれたもので、スポットライトのように〝秘密基地〟を照らしている。

 あまりにも非常識な光景とあまりの眩しさに目眩を覚えた遥斗の視界を不意に女の影が遮った。

 別に顔が見えたわけではない。けれども、逆光の中でなお鮮烈に映る真っ赤な長い髪が彗星の尾のようにたなびき、ほのかに麝香じゃこうのような甘い香りが漂ってきたので、遥斗は無意識に相手を女と判じた。その予想を裏付けるように高く小さな、それでいて凛とした声が耳の奥に響く。

「お前に星を与えよう」

「……え?」

 別に『ワレワレハウチュウジンダ』などというお決まりのセリフを期待していたわけではなかったが、相手が流暢な日本語を喋ったことに遥斗は少なからず驚いた。

〈それに『星を与える』って、いったい……〉

 遥斗が疑問に思うよりも早く、彼女が右手を伸ばし遥斗の額を鷲掴んだ。

 その瞬間、遥斗は自分でも信じられないような金切り声を発していた。

 

 熱い――!

 皮膚が沸き立つように水ぶくれ、脳の血管という血管が破裂してしまいそうな熱と激痛に、遥斗は喉を掻きむしるような悲鳴を上げた。まるで熱した焼きごてを押し当てられているかのようだ。

 事実、遥斗の額に当てた彼女の手の平は懐中電灯を押し当てたみたいに紅く輝いていた。

〈手の平だけじゃない!? 目も光ってる――!?〉

 白銀色の光に縁取られたシルエットの中で瞳の部分だけが、まるで燃え上がる炎のように赤々と輝いている。

「やめてくれっ!!」

 恐怖と痛みから遥斗はあらん限りの力で彼女の拘束を振りほどき、そのまま背中から倒れるようにあとずさった。

 一方、彼女はそんな遥斗を静かに見下ろしたまま動こうとしない。既に手は元の肌色に戻っていたが、それを見つめる彼女はどこか傷ついているようにも見えた。

 自分を襲った相手に対してそんな感情を抱いたことを奇妙に思いながら額に手を当てた遥斗はより大きな疑念に囚われる。

〈火傷……していない!? 何で!?〉

 脳が煮えたぎり、眼球が内側から膨張するような、あの痛みと熱は本物だった。にもかかわらず額には火傷の痕はおろか、彼女の手形さえ残っていない。混乱に拍車がかかり、いよいよをもって目の前の出来事が全部タチの悪い夢なんじゃないかと思い始めてきた。

 そんな遥斗の心の内を見透かすように彼女が大きなため息をつく。

「いい年して狼狽えるとはみっともない。お前、まさかあの光も単につがいを楽しませるイルミネーションか何かだと思っていたわけではあるまい?」

 長い髪を夜風になびかせ、彼女が振り仰いだ先には空飛ぶ円盤に反射した星空があった。

「あれは星が己を燃やしている命の煌きらめき。光年という途方もない時空を超えてなお、この宇宙に燦然さんぜんと輝く生きた証――」

 舞台役者のような仕草で哲学者めいたことを口にしているが、腕や眼が光る人間なんて居るわけがない。そのことを文字通り骨の髄から認識させられた遥斗は女が夜空を見上げている隙に体を起こし、踵を返してその場から逃げ出す。

 ところが――。

「お前も星に願う前に己の命を燃やしてみせろ」

「――うわぁっ!?」

 いつの間にか彼女が目の前に立っており、光る右手で再び遥斗の額を掴んだ。今度は振り払うことができないほど力が強い。一七〇センチ後半の遥斗の体を、彼女は易々と片手で持ち上げていた。

〈――違う!? オレの体が浮いているんだ!?〉

 

 見上げると、白銀のスポットライトが全て遥斗を照らしていた。それがまるで磁石のように遥斗の体を吸い寄せ、彼女の手を離れて徐々に上空の飛行物体へと近づいていく。遥斗にはもはやそれが空飛ぶ円盤ではなく、巨大クラゲかタコのように思えた。白銀に光る触手で獲物を絡め取り、捕食しようとしている。

――アブダクション。

 一瞬、頭をよぎった言葉が連鎖的に子供時代の記憶を呼び起こす。当時、夢中になって読んだ空想科学の本やテレビ番組には、宇宙人による誘拐や人体実験の体験談、解剖され全身の血を抜かれた家畜の映像があった。大人になるにつれてそれは空想の産物に過ぎないと、いつかしか記憶とともにあの頃感じた恐怖も忘れていたのに、それが今になって一気に蘇り全身が強ばる。

「やめろ! このっ、離せっ!」

 遥斗はありったけの声と力を込めて拘束に抗おうとしたが、光には触れることも掴むこともできない。まるで幽霊か透明人間を相手にしているかのような、手応えの無さに恐怖と焦燥感だけがつのっていく中、地面がどんどん遠のいていく。

 〝秘密基地〟の草原の上には女の黒いシルエットがぽつんと立っており、長い髪を片手で押さえながら紅い眼差しをこちらに向けていた。

 自分をこんな目にあわせた相手に悪態の一つでもついてやらないと気がすまない。たとえそれが負け惜しみだったとしても、たとえ末期のセリフになろうとも……。

 遥斗が溢れる感情を言葉にしようとしたその時、白銀の光が一瞬、彼女の姿を暗闇の中に照らし出した。

「――え?」

 

 遥斗はおもわず目を疑った。

 てっきり相手は銀色の肌をしたひょろ長い異星人か、トレンチコートを着た全身黒ずくめの人物だと思っていたのに、彼女は遥斗のよく知る人間だったのだ。

〈そんなバカなことがあるわけない……! きっと彼女に化けているんだ!〉

 目の前の事実を必死に否定しようとする遥斗の思考を読み取ったかのように、彼女の声が聞こえる。

 

「星は与えた。流されるか、燃え尽きるか……それはお前次第だ、遥斗」

 もはや三階建てのアパートは優に超える高さにいるにもかかわらず、彼女の声はすぐそばで聞こえ、はっきりと遥斗の名前を呼んだ。同時に遥斗の体を包み込む光が強まり、目の前が真っ白になる。視覚はもちろん、触覚も聴覚も五感全てが白銀の光に満たされてしまったかのようだ。熱も匂いも、平衡感覚さえも感じない真っ白な光の中で、二つの紅い星だけが遥斗を静かに見守っていた。

「願わくは、誰かの希望にならんことを……」

 どこか懐かしいその声を最後に遥斗の意識は完全に白く塗り潰された。

  *  *  *

 草原に咲いた星の花を心地よい海風が揺らしていた。

 頭上を遮るものはなく、吸い込まれそうな夜空に星がきらめいている。辺りはしんと静まり、森の奥からは微かに虫のさざめきが聞こえてくるだけだ。

 久遠燈夏くとおとうかは独り〝秘密基地〟の草原に立って星空を見上げる。

「汝なんじの頭上に星辰せいしんの導きがありますように……」

 その足元にはなぎ倒されたニシノハマカンゾウが丸い渦巻き模様を描いていた。

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